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開港後の横浜 見聞記翻訳

09.04.2008 | 神奈川新聞

よみがえる150年前の横浜 スイス人の日記翻訳へ

幕末期の横浜で生糸貿易の商社を創業し、後のスイス総領事も務めたカスパー・ブレンワルドが十六年間に及ぶ横浜滞在の日々をつづった日記の翻訳が、今夏から本格化する。作業に当たる横浜開港資料館によると、外国商館の外国人が書いた当時の資料は極めて珍しく、弱冠二十四歳で日本の地を踏んだスイス人青年の見聞は、開港(一八五九年)前後の横浜の息吹や活況にわく生糸貿易の様子を知る上で貴重な資料となりそうだ。

日本語への翻訳が行われるのは、一八六二年にスイス政府の通商使節団の一員として日本に派遣されたブレンワルド(一八三八~九九年)が、同年十月十日から七八年二月二日まで記した「ブレンワルド・ダイアリー」。

ドイツ語で書かれた日記は全五冊、五百四十八㌻に及ぶ。着任から三年後、二十七歳のときに現在の横浜中華街付近に創業した「シイベル・ブレンワルド商会」は、生糸貿易を中心に横浜の経済発展の一翼を担った。日記には、日本とスイスとの通商条約の締結など政治的な出来事から、生糸やお茶などの取引の様子まで、ブレンワルドが見聞きした「横浜」が記されている。

同商会を継承する日本シイベルヘグナー社(本社・東京都港区)は十六年前まで横浜に本社を構え続けるなど創業の地・横浜との縁が深く、スイスの連邦公文書館などに保管されていた日記の翻訳を、開港資料館に持ちかけた。

同社のヴォルフガング・シャンツェンバッハ社長が四日、横浜市中区の開港資料館を訪問。日記のコピーや関連資料を手渡した。開港資料館は夏から約三年をかけ、本格的な翻訳作業を始める。翻訳後はその「成果」を何らかの形で出版したい考え。

「日記はわが社にとって宝物だが、横浜にとっても大事なものだと考えている。長くお世話になった横浜港に役立つことになれば大変うれしい」とシャンツェンバッハ社長。

開港資料館の西川武臣調査研究員は「開港直後から明治初期にかけての外国商館の外国人による資料は、関東大震災などで焼失し、国内にほとんど残っていない。日記によって新たな事実が判明する可能性が高い」と期待を膨らませている。

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