DKSHジャパン 140年の歩み

DKSHジャパン株式会社の歴史は140年以上も前の1865年(慶応元年)、シイベル・ブレンワルド商会が横浜市で生糸の貿易を行ったのが始まりです。その住所から、人々に「横浜甲90番館」と呼ばれた商館は、日本の生糸取引の中心で「生糸王国日本」を築きあげる上で大きな役割を果たしました。
その一方で横浜および銀座に、日本で初めて導入されたガス燈にガスを供給するプラント設置の協力をした他、明治中期には時計・機械などの輸入を開始するなど、商社として多くの足跡を残しました。倉庫火災、数々の戦争、1923年(大正12年)の関東大震災によって、横浜本社は壊滅的な打撃を受けながらも、障害をそのつど跳ね返し、1932年(昭和7年)には本社を横浜からスイスのチューリッヒに移転。その後、世界中に支社を開設するなどネットワークを広げながら発展を続けてきました。
1965年(昭和40年)には創業100周年を機に、日本法人として日本シイベルヘグナー株式会社を設立。日本市場にいち早く直販制度、ブランドマーケティングを導入しました。現在は、世界35ヵ国に拠点を有するDKSHグループの中核として重要な役割を果たしています。創業以来、目覚しい発展を遂げた日本の社会の中で、絶えず先進的な役割を果たしてきました。その歴史は日本産業の近代化、高度化を支え続けてきた歴史と言えるでしょう。日本シイベルへグナー株式会社は2009年4月にDKSHジャパン株式会社に商号を変更しました。
5月28日、スイス政府派遣の通商使節団が、オランダ汽船「メドゥーサ号」で来日。一行の中にカスパー・ブレンワルド(当時24歳)が加わっていた。
1865年(慶応元年)
ブレンワルドはそのパートナーとして選んだヘルマン・シイベルとともに横浜にシイベル・ブレンワルド商会を設立。11月28日付ロンドン発の書簡にて、設立を発表。資本金は英貨1万ポンド。
1866年(慶応2年)
カスパー・ブレンワルドが駐日スイス総領事に就任。また、天皇から横浜での土地入手に関する権利を与えられる。この年初めてシイベル・ブレンワルド商会がスイス製品を日本に輸入した。
1872~1874年(明治5年~明治7年)
横浜、次いで東京銀座に日本で初めて灯されたガス燈にガスを供給するガスプラント建設にあたり、高島嘉右衛門氏に協力した。(「横浜ガス史」より)
1888年(明治21年)
シイベル・ブレンワルド商会の経営に創立者へルマン・シイベルの甥、ロバート・へグナー・フォン・ユバルタが参加。また、シイベル・ブレンワルド商会より時計を仕入れたとの記述。(「銀座・天賞堂100年史」より)
1900年(明治33年)
社名をシイベル・ウォルフ商会と改称する。
1903年(明治36年)
日本蚕糸業での業績が認められ、大日本蚕糸会会長松平正直男爵より表彰される。
1906~1921年(明治39年~大正10年)
この15年間に神戸、大阪、東京、上海に支店を開設。1910年(明治43年)社名をシイベルへグナー・エンド・カンパニーと改称する。
1923年(大正12年)
関東大震災により、横浜本社は壊滅的な打撃を受ける。被害総額は1千万スイスフランを超える。
1932年(昭和7年)
株式会社に改組し、本社をスイスのチューリッヒに移転する。
1941~1945年(昭和16年~昭和20年)
第二次世界大戦中、アジア貿易が停止。日本と中国にいたシイベルヘグナーの経営陣が、国際赤十字社(ICRC)の代表を務める。日本では、1944年から1994年まで日本シイベルヘグナーにICRCの本部が置かれた。
1964年(昭和39年)
チューリッヒにシイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドを設立。これを機にグループ再編に着手し、翌年にかけて極東地区の各支店をシイベルヘグナーグループ内の独立法人とした。
創業100周年を機に、日本法人化。日本シイベルヘグナー株式会社設立。
1974年(昭和49年)
シイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドの資本金を1千万スイスフランに増資。これを機に、グループ内の全社員に持ち株を認める。
1992年(平成4年)
シイベルヘグナー磯子サービスビルディングが完成。洋菓子開発研修センター、食品応用開発研究室、医薬品品質管理室を設置する。
1993年(平成5年)
日本シイベルヘグナー本社がシイベルヘグナー三田ビルディング(東京)に移転。シイベルヘグナー流通配送センターが静岡県袋井市にオープン。
2002年(平成14年)
6月19日、親会社であるシイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドがディトヘルム・ケラー・サービス・アジア社と合併し、ディーケーエスエイチ・ホールディング・リミテッドが発足。
2008年(平成20年)
10月1日、日本デスコ株式会社を吸収合併。
2009年(平成21年)
4月1日、DKSHジャパン株式会社に商号変更。
5月1日、ミカエル・ヴァイニッヒ・ジャパン株式会社の事業を買収。

「ブレンワルド・ダイアリー」 およそ150年前・スイスの青年がみた横浜

2008年4月4日 – 当社の創業者 カスパー・ブレンワルドの日記16年間分(548頁)の全翻訳プロジェクトを開始いたします。
ブレンワルド・ダイアリーは、1862年10月10日に始まり、1878年2月2日までの約16年間、日本とスイスの通商条約など政治的出来事や、当時の社会状況、そして生糸やお茶の取引その他実際の貿易や取引などについての日々を、全5冊548頁に記したものです。ドイツ語を中心にフランス語、英語、イタリア語、オランダ語と国際色豊かな当時の書簡の行き来をもうかがい知ることができます。この日記を記したカスパー・ブレンワルドはスイス・メンネドルフ出身。日本に到着した時は弱冠24歳の青年でした。
このダイアリーに関する資料はスイス本国の創業者一族とスイス連邦公文書館にて今日まで保管されていました。
